「今日も一日、お疲れさまでした。」

娘のお迎え

娘が小学生になってからは、夕方仕事を終えたら先に保育園へお迎えに行き、そのまま息子を連れて学童へお迎えに行く日々が始まりました。

迎えに行くと、娘はいつも押し黙り、下を向いたまま私たちを置いてひとりで足早に歩いていくのです。
話しかけても機嫌が悪く、無言で駐車場までそれぞれ歩く…という日々が長く続きました。
その仕打ちは、仕事を終えて疲れた体になかなか辛く、一日の中で唯一暗く沈んだ時間でした。

学校や学童で何かあったのか、お友達に家族を見られるのが恥ずかしいのか、思春期の入口なのか(もう?)、保育園と生活リズムが変わって疲れているのか(卒園するまでしっかりお昼寝があった)、心配していました。

しかし尋ねてみても反応は薄く、しつこいのもいけないなと思ったり…距離を測りかねていました。
というのも、その時間以外の娘はとても元気で明るく、帰宅後に食事や入浴を済ませると、機嫌が直る毎日だったのです。

そのうち、息子も迎えに行く道中で「今日の〇〇ちゃんは、どうだろうね」「心配になるよね」「元気に出てきてくれたら嬉しいね」など言うようになり、息子とふたり足取りの重いお迎えの日々を過ごしました。

お出かけからの帰り道、走り出す子どもたち。

ある日、友人と迎えの時間が一緒になり挨拶していると、そこのお嬢さんは建物を出てくるなり「ママ!」と駆け寄り、友人の腕を恋人のように組んで嬉しそうに今日の出来事を報告しているではありませんか。私はその様子に衝撃を受けたのでした。

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あまりにも理不尽に八つ当たりされたある日の夕方、思い切って娘に私の気持ちを伝えてみることにしました。
その日もお迎え時から自宅までの車中、玄関を入ってからも不機嫌オーラ全開で、息子に対してもひどい態度を取っていました。

「〇〇ちゃんが毎日、学校や学童で頑張っていて疲れているのは知っている。お母さんもお仕事を、□□くんも保育園を今日一日、それぞれの場所で頑張ってきた。それを終えてやっと家族に会えてほっとした時間が今。

〇〇ちゃんのその不機嫌は、多分お母さんと□□くんのせいではないのでは?
その態度で迎えられることは、とても悲しいことだ。
困ったことや悩んでいることがあるなら、怒った態度で示すのではなくて、気持ちがまとまっていなくてもいいから言葉で話してほしい。」

…というようなことを話しました。

娘は、はっとした表情でした。
私や息子にも心があって、今日一日それぞれの場所でそれぞれのストレスを受けて帰ってきた今が、自分と同じようにあることに初めて気付いたようでした。

次の日から、迎えに行ったら笑顔で出てきて「ただいま」と言ってくれるようになりました。私たちに向かって「お疲れ様」とも。
嫌なことがあった日、不安が残っている日は、ぎゅっと私を抱きしめてきます。
そんな日は、帰宅してから娘の話を聞きます。

送迎の時間も大切な子どもとの時間

車での送迎は、子どもたちが幼い頃は乗り降りに時間が必要なのと、私の仕事の忙しいタイミングが重なった時期で、いつも切羽詰まった感じでまさに「綱渡りのミッション」という感じでした。

その後、キャンプを始めた頃に仕事を変えて、時間に余裕を持った送迎ができるようになり、また子どもたちも着実に成長していて、この時間を大切に思えるようになりました。

私が運転する後ろで、ふたりが隣り合って座り、何やら話し込んだり、ぬいぐるみ遊びを始めたり、大笑いしたりするのを、ルームミラー越しに眺めるのは、癒されるひとときでした。

沈む夕日を見つめるふたり。いつもお互いがそばにいます。

娘の保育園最後の日は「明日から一緒じゃないんだ」と思うと込み上げてくるものがあり、毎日私が保育園に送っていくのと同時に私も子どもたちに仕事に送り出してもらっているのだなぁと温かい気持ちに包まれました。

***

そして今、朝の車は息子と私ふたりきり。
夕方も娘が載るのはほんの少しの時間ですが、この出来事をきっかけに、送迎時間は穏やかなものになりました。

家の駐車場に車を停めてフットブレーキをぐっと踏み、ギアをパーキングに入れ、エンジンを切ったタイミングで、娘と息子どちらからともなく「今日もみんな一日お疲れ様」と声をかけてくれるように。

その言葉を聞くと肩の力が抜けて、私も後部座席を振り向いて「今日も一日お疲れ様でした」とふたりの顔を見ます。一日、それぞれの場所で頑張ってきたよね! という労いの気持ちを込めて。
…というのが慣例になっています。

皆様も、今日も一日、お疲れさまでした。